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青色えんぴつは漫画家にとって下書き範囲。とても好きな色だけど印刷されない線。 どこか私に似ている。
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絵を描くことが好きです。
歌を歌うことが好きです。
旅に出るのも好きです。

そしていつか風のように生きたいと思っています。
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風邪が治らず、真っ昼間から寝ていたので10/27の夢は何だかよく分かりません。あんまり良い夢じゃないかも。

※山間部の国道沿いを歩いている。どうやらこの道沿いに我が家があるようだ。私は左手に「く」の字に折り曲がった坂道に隣接する家を眺めながら歩いていると、いきなり「ドスーン!」と轟音を響かせて上にある家が潰れてしまった。家財は散乱し、柱は折れ曲がり、中から太目のおばあちゃんが転がり出てきた。彼女はすでに亡くなっているようだ。目の前に彼女のお孫さんが夏休みに作った「人生ゲーム」の絵が浮かんだ。そのたどたどしい字は彼女の死で終わっている。絵は早く助けなきゃ!と言う声でかき消えた。周りの慌てる声を聞きながら、「もう遅い」と呟いた。
 やっと家に辿り着く。古い二階建ての日本家屋で、外壁がバタリと倒れている。「ふう」とため息をつき、外壁を「よっこらしょ!」と持ち上げ、元に戻したが、後ろに見える民家の外壁すべてが倒れている。「まあいいか」と、外壁を支えていた手を離して外壁を倒れたままにした。ふと気が付くと、家の中に火。家は中から燃えているようだ。不安感も恐怖感も無かったが、家族写真や思い出の品が燃えてしまうのが悲しかった。他の家族は出払っているのを知っているので、燃えるままにした。手遅れだから。
 火が鎮火して、やっと家の中に入る。どうしたことか、一室だけ燃えずに残っていて、おまけに電気までついている。中に置いてあった保存食や衣類や家具、布団などは火事場泥棒に盗まれた後だったが、家族写真や思い出の品だけは残っていた。「遅いよ、みんなやられた後だよ」とどこかのおばさんが私に言ったが、平気だった。「大丈夫です。私達は平気です」と答えた。
 携帯電話で夫と話した。「これからどうする?どこへ行く?」軽い感じで夫が答える「そうだなあ・・・どこが好き?」そして意識が遠のいていった。

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「不食の人」

と聞けば、どんな人もエエーッ!?と驚きを隠さないだろうと思いますが、肉体があり、精神があり、魂があり、これらを健全に運営するには「食」は大切なものだと教えられて来たからでしょうか。確かに私も現在は食べずにはいられませんし、お腹も空きます。空腹に肉体労働は耐えられないでしょうし、たとえPCの前から動かない仕事でもお腹だけは空きます。何故お腹が空くのでしょうか?と子供時代に母親に聞いたことがありました。母親の回答は忘れてしまいましたが、「食べなくては生きていかれないから、お腹が空いたー!とお腹が言うんだよ」こんな回答だったように思います。

お腹が空いたと言えば、モーセが天に祈り「マナ」を降らせ、空腹のイスラエルの民を助けたというお話を思い出しました。「マナ」とはなんぞや?と調べてみましたところ、・・・説明書くのが面倒くさいのでこちらを検索して下さい。

「マナ」(出エジプト記第16章/旧約聖書)

そして「マナの壺」がありましたね。絶対神ヤハウェからイスラエルの民が受け取った「十戒石版」「アロンの杖」「マナの壺」の三種の神器。日本にも三種の神器がありました。「八咫鏡」「天叢雲剣」「八尺瓊勾玉」でしたっけ。ヤハウェの三種の神器は契約の聖櫃アークによって運ばれ行方不明となり、日本の三種の神器もほぼ行方不明のようなもの。無理矢理話をこじつけて、アークは日本に来た!と言えば面白いけれど、頭がちんぷんかんぷんで痛くなってくるのでやめときましょう。
一つ忘れておりました。確か「大麻」も古代日本では「マナ」と呼ばれていたらしいのですが、大麻は種類によって麻薬となるものや実まで食べられるものまであるそうですね。麻の服は夏は涼しいらしいです。神事にも付きものです。話を突き詰めてみると面白い結果が出るのかも知れません。

不食の人になりたいと思ったりしますが(無駄な食物連鎖を防げるかも?)そこまで無理をしなくても、有り難く、無駄を省き、感謝を捧げて頂けば良いと思います。牛肉や豚肉は私は食べませんが(お腹を壊すのです)ほんの少々なら(宴席などではお腹を壊さない程度に雰囲気を壊さない程度に)頂きます。皆が贅沢をせず貧しい人々にも公平に分け与えてあげることが出来たなら・・・これが神々が与えし「マナ」になるんじゃないかしらん?

「食品汚染告発の中国人ジャーナリスト無事確認」(産経新聞より)

良かった。無事に生きていたのですね。
中国人でも我が国を憂いているジャーナリストはいるのだと安心した事件。
安心していいのか?(笑)
これからどんどん明るみに出るのかも知れませんね、中国の悪事。

ロシア、中国と言えば国旗は赤。正確には「中華人民共和国」「旧ソ連邦」ですが、私は「赤」は来年のキーワードだと思っていましたが、どうでしょう?キツネ顔プーチンの素性は知れだし、国民でさえも反旗を揚げだした。中国では事ほど左様に上手く隠されてはいますが、今後はどうなるか分かりませんよ~^^
悲しいのは、犠牲を伴い幕を引くこと。断じて善良なる国民の犠牲はあってはならないと思う。

来年から世界が混乱を始める年。(だそうです)
2008年から2013年までが本腰入れなきゃならない波がやって来ます。
資本主義、グローバリゼーション、勝ち組負け組、こんなものが闊歩していた時代が崩壊するのでしょうか?見てのお楽しみと言いたいのですが、これは貧乏人へのリップサービスだそうで、お金持ち、資本家、成金、呼び名は違えど苦しい時代の幕開けだそうな。特に政治家である皆様、また彼等に媚びへつらう皆様方、ご注意されたほうがよろしいかと。
ただ、我々下々の国民にもツケがありますので、人それぞれに覚悟はしておいたほうがよろしいかと思います。これは「占い、予言、預言」の分野からの報告なので、当たるも八卦当たらぬも八卦だと思いますが、流れを見ていますと「当たるも八卦」のように思います。私の夢もフラッシュ現象も、決して楽観出来る世界ではなかったものですから、予感は正しかったのかも知れないと思います。

「赤」と言えば「火」「国旗の赤」「血」「日の丸」「太陽」「巫女」「夕暮れ」「労働」「血気盛ん」「情熱」「赤潮」「マグマ」他色々ありますが、今騒がしいミャンマー(ビルマ)の国旗も下地は赤ですね。お坊さんの衣装も「赤」でしたね。ミャンマーは仏教国であり親日国家であり、第一次大戦でも日本人戦死者を弔った石碑がある。この度の混乱では、確かに軍は国民に銃を向けていた。日本人ジャーナリストも犠牲になってしまった。犠牲になった長井健司氏にお悔やみを申し上げたいと思うと同時に、国民に銃向ける国家とはどういうものなのか問うてみたい気がします。

これも踏まえ、外務省よ、しっかりしてくれ!と申し上げたい気がします。

 

"甦れ美しい日本"の松永太郎氏のコーナーを読んでいた。

エピファニー」(神が姿を現すとき)


「エピファニー」(神が姿を現すとき)とは如何なる時か。

「時間」と「永遠」に触れておられますが三次元と四次元、五次元と考えるのは間違っているのでしょうか。三次元世界、つまり「この世」は時間の観念によって支配されていますが、五次元、つまり霊界神界、天界などと呼ばれる世界には時間は無いと考えます。自我の中に「私」を発見し、「私」とは誰なのかを思考した時にエピファニーが現れるのではないか?と、氏はお書きになている。

未来永劫、石はそこにあり、山も海も川も大地もそこにある。
今私が歩いているこの田圃のあぜ道にも「永遠」はある。
「時間」と「永遠」が交差したような錯覚(語弊はありますが)に陥った時、そして「私」がその瞬間に溶け込んだような意識に到達した時、初めて「神が姿を現す」のでしょう。

我々が今目撃している世界は、個人にとって「個人の世界」である。
リンゴは赤い。この言葉にも色々な世界が溶け込んでいる。

貴方の赤とは何ですか?
貴方のリンゴとは何ですか?
もしかしたら私と貴方の感覚は違うかも知れない。
四角は何ですか?丸とは?
こんな事も貴方とは違うのかも知れない。

ふと、以前私が書き込んだ掲示板を思い出した。

三次元も四次元も五次元も「想念」の世界であると。
徒然なるままに・・・

 

「カタカナ町誕生へ 宇都宮7町「インターパーク」に」

日本の古来よりの地名には意味があります。その地はどんな場所だったか、どんな謂われがあったかなどが深く込められています。所謂、与えられた地名は奥深く意識の中に浸透するものだと思うのですよ。漢字、これがあるからその意味も語りやすい。

「インターパーク」って言葉の響き、「言霊」がありませんよね。

日本人が敏感に反応するアレです。神の与えし言霊です。「はじめに言葉ありき」(聖書

日本の古来よりの神々様はさぞかし戸惑っていらっさることでしょう。そして、嘆いておられるでしょう。神々様も一柱、また一柱と去って行かれたのは、我々日本人意識が根底から変わってしまったからに他なりません。

「古き良き日本を取り戻せ」的スローガンを掲げて頑張る人々もいれば、こんなに軽く地名まで外国のように変えてしまう人々もいらっさる。

だんだんと寂しくなって来ました。この日本、どこへ行くのでしょう?